お下がりのランドセル。
これは永久保存版だと思います。
「お下がりって英語で hand me down というけど、hand down は受け継ぐっていう意味なんだよ。受け継がれていくってなんかいいよね。」というお姉さん、「ひとつのものを大切に使い続けることはなかなかできることじゃない。姉のランドセルはわたしへの想いが込められているお金では買えないものだった。」という妹さん。人生何週目でしょうか?
https://www.shiruporuto.jp/public/document/container/concours_sakubun/2021/pdf/21saku005.pdf
わたしには六つ歳上の姉がいる。幼いころは気が付かなかったが、小学生になるとわたしの服や持ち物の多くが姉のお下がりだと気が付いた。きっかけはランドセルだ。入学式、周りを見渡すと可愛いワンピースに水色やピンク、ブラウンなど綺麗な色のランドセルを背負った新入生たちの姿がわたしの眼に羨ましく映った。それに比べてわたしのランドセルはみんなのように可愛い刺繍もなく、色も平凡な赤。姉のお下がりのランドセルだ。その上、入学式に着たワンピースも姉が小学校の入学式に着たお下がりだった。正直、お下がりは嫌だ。しかし幼いわたしはこの想いを母に伝えることができなかった。
それから高学年になるまで、習字用具、裁縫セット、体操着など、事あるごとにわたしは姉のお下がりで我慢し続けた。母はなにかと節約が好きでなかなか新しいものを買ってくれない。そんな母にも少し不満を感じていたし、周りの友達がなんでも買ってもらえる様子が羨ましかった。それでも姉が丁寧に使っていたことも知っていたので何も言えずにいた。
だが、高学年になったある日、彫刻刀まで姉のお下がりを勧める母に対し、ついに今までの想いが爆発した。「なんでいつもお姉ちゃんのお下がりなの?ランドセルだって……わたしもみんなみたいに新しいのが欲しかった……」と言うと、言ったことを後悔しながら少し下を向いた。なぜなら母が哀しそうな表情になったらどうしようかと不安だったから。すると母はわたしの頭を撫でながら「お姉ちゃんはランドセルを買うとき、本当は茶色のランドセルが欲しかったんだけど、重くてね。なるべく軽くてシンプルなデザインなら妹も使えるからって。そしていつか妹に渡すからって大切に使ってきたのよ。」と教えてくれた。
そして、わたしのランドセルを買う予定だったお金を別のことで有効に使 うことにしたと聞いた。思い返せばランドセルの代わりに図鑑や世界地図のパ ズルを買ってもらい、わたしは世界の国の名前を沢山覚えることができた。ほかにも体操着の代わりに英語辞書や、習字用具の代わりに電子辞書を買っても らい英単語を覚えることに夢中になれた。そのお陰でわたしは今では英語が一 番好きな教科になった。母は物を大切にしながら本当に必要だと思うものをわ たしに与えてくれていたことに気が付いた。わたしはその時、涙を見せたくな くて母の顔を見上げることができなかった。
そんなわたしに姉が教えてくれた。「お下がりって英語で hand me down とい うけど、hand down は受け継ぐっていう意味なんだよ。受け継がれていくって なんかいいよね。」
わたしは、お下がりはただお金の節約の為だけだと思っていた。お下がりを もらうことでなんだか自分が損をしているような気持ちになっていたのだ。だ が、その考えは間違っていた。使い捨ての物が溢 あふ れる現代で、ひとつのものを 大切に使い続けることはなかなかできることじゃない。姉のランドセルはわた しへの想いが込められているお金では買えないものだった。わたしは姉の想い もランドセルと一緒に背負い続けた。
母や姉の想いを知って、わたしのお金に対する考えは変化した。まずお金を むやみに使わなくなった。でもそれはただ節約して貯金をするのではなく、本 当に自分のしたいことや使いたいことにお金を使うということだ。わたしは今、 なるべく無駄なものは買わずにお年玉や誕生日でもらったお金を動物保護団体 に定期的に寄付している。きっかけは小さな命との出会いだった。自宅近くで 見つけた生後間もない猫を保護したとき、抱き上げた小さな塊から伝わる心臓 の鼓動がわたしの心から離れないからだ。
わたしの家はマンションの為、保護 活動に対して多くの手助けはできないが、少額でもわたしのお金が餌代の足し になればとはじめたことだった。継続していけば、小さな命が救われるかもし れないと思うだけで心が満たされている。それはお金を使うことで心が幸せに なることがあると実感させてくれた。 お金の使い方は自分次第。それならばわたしはケチと思われようと母のよう に節約し、姉のように物を大切にし、自分や周りの人たちが幸せになれるお金 の使い方をしていきたい。 雨の降った日は必ずランドセルを丁寧に拭いていた姉の姿を思い出す。あの時、 姉はわたしがいつかそのランドセルを背負う姿を思い浮かべていたのかもしれない。